2013年2月12日火曜日

九州探訪記

 前回のブログなどでも御伝えしていた通り、1月29日~2月6日までの9日間九州へ出掛けて来ました。
今回はファクトリー福岡の同志諸君と交流する事が主目的なので、ファクトリー福岡に滞在し、2月に入ってからは北九州市に滞在しました。
と言っても、する事は別に変わりなく、美食に耽溺し、ゴロゴロしてだけと言えばそうなのだけれど、福岡は初めての滞在であって、その街を知る為にはやはり衣食住やその街の人々と深く話す事が一番だと想い、それを実践した。
九州は大分、宮崎、鹿児島の三ヶ所には家族旅行で行った事はあり、まだ小学生高学年や低学年だったのでそこまで街と個人が向き合った事は無く、言ってみれば主体的な行動で初めて九州へ赴いた訳だ。その中で発見としては博多や天神などの中心部は想像していたよりも三倍は発展していて、僕は驚かされた。仙台や地方都市で中核になる街を色々と見たけれど、九州にここまで大きい都市があったとは思えなかったのだ。人口数的にも大阪より100万人は少ない都市ながら街の規模は大阪市の中心部の0.7倍はあるだろう。この計算すら僕の大阪愛の裏返しであって、規模で言えば同じなのかもしれない。福岡市自体もまことに大阪に似た町並みで、海の近くにある大都市だからかもしれないけれど、河口近くの町並み、海岸部に並ぶ工業地帯、高速道路の感じ等などが何故か大阪を思い出させた。大阪市の西淀川区という町で10代半ばまで暮らした僕にとっては故郷に近い雰囲気が感動を増幅させたのだ。
北九州の黒崎にも二日間ほど滞在したのだけど、大きな商店街が駅近くに広がっていて、駅は再開発されてきれいなんだけども、その大きな商店街とまた地方なら何処でも同じなのだろうけど、活気の無さやシャッターの感じに僕はいたく感傷的になってしまったのだけれど、これは黒崎滞在中に歯痛が悪化し、どんよりした天気と合わさってそうなったのかもしれない。その黒崎ではMr.ピッグマンというちゃんぽんの店にさらなるノスタルジーを感じてしまい。色々な事がフラッシュバックしてしまった。僕はノスタルジーと記憶が大好きなのだ。失ってしまった故郷を常に心の闇として捉えている。かなり文章が感傷的な文学的な感じになっているけれど、僕は一生懸命福岡という街を掘り起こそうと勤めている。縁も所縁も無い街なのだけど、街の規模と雰囲気に僕は完全に福岡という所が好きなってしまったのだ。結局は、今回の旅では福岡の表層しか知りえないだろうし、筑豊などに行くとまた雰囲気は変わるとの事なのでまだまだ僕が福岡の事を語る事は出来ないだろう。けれども、田舎嫌いの僕は都会が好きで、その都会の按排が良い具合だった福岡という地方都市は絶妙なのだ。
九州の印象は人外魔境であり、熊襲が跳梁跋扈する征西すべき地帯だとか上方の驕り高ぶった感覚が少なからずあって、九州出身の人間を田舎もんやなと馬鹿にしたりもしていたのだけど、僕は福岡には可能性を感じたのだ。熊本にも立ち寄ったのだけど、熊本も良い街で(総じて飯が美味いところは良い町ではある。街ではないけれど)中崎町を思わせるような雰囲気もあり、しかし駅前などは結局地方都市のそれであり、熊本は熊本城と美食とくまモンだけでよろしい。
その街を知るためには衣食住を知る事が肝心と書いたけれど、その中で今回欠落していたのはその街の女肌と肌を合わせるという事が今回無かった。それは性風俗であり、前々から中州と熊本のソープは凄いという話を聞いていたので、そこに行ってみたかったのだけど、資金難は拭う事あたわず完全に食に耽溺するだけになってしまった。
 福岡の人についても書かなければならないと思うが、僕はまだまだ福岡人を知らない。しかしながら、彼らの特色は関西とは全く違った性質を持っていると言わなければならないだろう。まず彼らは寡黙であり、街中でも会話を交わしまくる関西人とは全然逆なのだ。彼らはシャイで、何事もネタにし笑いあう関西人と違い、常に秘密と沈黙を湛える権謀の人々である。大阪に強く立脚している僕にとっては扱い辛く、あまり感心しないけれども、それが風土が生み出したものなのだろう。もっと僕は彼らを知る必要があるのだ。
とにかく散漫な文章になった事は否定できようもないし、僕はあまり今陽気ではないからここらで終わりたい。福岡の可能性は大いにある。それを遣い飛翔するかどうかは彼ら次第であろうけれど、コミュニケーションの何たるかを模索し続けている人間にとってはどうなるのかは気になるところなのだ。