2014年7月26日土曜日

何故僕はファクトリー京都を辞めるのか。

 仰々しいタイトルですが、まあタイトル通り2010年の立ち上げから運営者として、また2011年頃から2年間以上に渡って代表を務めさせていただいた京都市にあるFactoryKyoto(以下、ファクトリー)というオルタナティヴスペースの運営から2014年7月末付けで脱退します。

ファクトリーから抜けようと思い始めたのは数ヶ月前からであり、正直なところここまですぐに決断は出そうとは考えていなくて、キリの良い時期に脱退という事を考えたのですが、様々な事が重なり(というか様々な事が重ならなければ辞めるという判断にならない訳ですが)ドイツから帰国後に決断する事にしました。
 理由はいくつかありますが、公的なものと私的なものが自分の中では複雑に絡み合っていますが、端的には以下の三つです。

 一つ目は、ファクトリーが去年新しい場所に移り、運営者も色々と変わり、増減し、その中で僕はやりたい事がやれなくなってしまいました。何でもやれる場所である事は変わりないし、別に僕が除け者にされているわけではないのですが、要はヘゲモニー闘争に敗北している現状がずっとありました。集団である以上、誰が旗を振るのかという事があります。
これに自覚的にはずっと前からあったのですが、関係性が深く過ごした時間も長い人間とやっている訳ですから、自分と違う意見、違うベクトルでやる行動や言動の意味が理解できてしまいます。そうなってくるとヘゲモニー争いをして、自分と同調しない人間を居辛くさせる、ようは婉曲的な首切りのような事を僕はしたくないし、出来るほど「出来た人間」ではないという事です。
努力論的に言えば、ファクトリーに残り、またヘゲモニーを握るような派閥作りやヘゲモニー闘争のような事もするべきなのでしょうけど、僕は自分が出来ない(しない)別の可能性を潰したり、目を摘む様な事は上記の理由で出来ませんでした。なので、僕が去るという事がもっと今のファクトリーが爆発力を高める事にも繋がると思ったわけです。
しかし、これは美辞麗句であり、僕は僕が介在しない爆発力というものを認めはするが、同意は出来ないというエゴイズムというかプライドというか美意識というか、そういうものがやはり心にはあります。この辺りは、凄く難しい話しだし、別に僕は独裁者のように強権的に振舞いたいわけでもなく、振舞ってきてもいなかった(表面的には)のですが、集団である以上、派閥のようなものが出来、どの派閥が旗振り役を取るのか、そういう旧時代的と言われかねない発想にしか残念な事に僕は行き着けませんでした。僕は自分のこういうある種の限界性と自分の感性やスタイル、向き不向きを自覚し、肉体化させつつある事はファクトリーに関わったからこそ見付けれたものだと確信しています。

 二つ目は、コミュニティの狭さです。これはまあオルタナティヴスペースや「今あるものではないもの」を模索する活動や集団や場所に付き物なもので、この狭さというのは言葉としてネガティヴな響きがありますが、そのメリットとデメリットは勿論あるわけですが、この狭さについてサークラだとかカルトと思われる、ようはアングラ的な臭いが嫌な意味で出るわけです、その中での男女関係、恋愛関係などは最たるもので、この狭さがイケイケの時は大変美味しい想いができます。権力を握るという事はもっともっとというプレッシャーに潰ずにいる辛さと、それに比例するように快楽がどんどん手を伸ばせば手に取れるようになってきます。これは自覚していても快楽は強烈な甘美さを持ちます。理想が高ければ高いほど日常生活では辛く、地獄のような孤独さとの闘いですから、それを癒す快楽は無ければ駄目と言ってもいいでしょう。その辺りの解決策は今の僕には正直分かりません。しかし、一つ僕がその狭さを少しでも緩和させる方法として実践しているのが90%以上の情報をオープンにしています。もちろん、その情報に関わる個人がかなり辛いものになる場合は除きますが、基本的に下世話な話からグロい話まで僕はオープンにする試みは実践し、それで一定の狭さの防衛や悪い意味でのカルト化を防ぐ効力があるのではないでしょうか。

三つ目は、かなり個人的な話です。今までも個人的だったのだけど、もっと個人というか家の問題です。簡単に言うと、僕はもうこれ以上家族を犠牲にしてまで、好き勝手やる事がやはり出来ないのだなと想う出来事が多々ありました。僕がなかなかいい歳になってきた事もあります。これも大きい。ようは親孝行的な事をそろそろ始めなければなと思いは強くなりました。

以上が大きな要因です。FactoryKyotoはこれからも活動を続けますし、僕も何らかの形で今までしてきた活動の延長線上の活動はしていきたいと思っています。
少しの休養時間というか、分かり易い場所から離れる恐怖はあるのですが、僕は生きて行きます。
京都にもすぐに出る訳ではなく、年内くらいはいるので皆さん引き続き宜しく御願いします。