2013年5月8日水曜日

プロジェクトという事

 これから幾つかのプロジェクトを個人的に継続してやって行こうと思います。幾つかと言っても二つ位しか思い浮かばないのですけれども。

一つは、トライブコンサルティングというプロジェクトです。
僕は、今まで個人的活動と言うものを殆どしてきた事がなく、集団、グループでの活動をしてきました。高校時代からバンド活動をしたり、パフォーマンス集団、大学では映画を学び、大学祭の実行委員長、交流会開催、そしてFactoryKyotoと作家活動からオーガナイザーまでジャンルに捕らわれず、集団という事を意識して様々な活動をしてきました。集団の活動というものは個人活動と決定的に違うのが、チームプレーであったりコミュニケーションが良くも悪くも活動の要で、それに関して僕も色々悩み、憤り、そして何より楽しんできました。
そこで、今までの活動や経験を活かして団体で活動している人達のサポートやヒアリング、打開案を一緒に考え、活動を発展的に継続させるノウハウを双方向的に共有するというプロジェクトをしようと思っています。
FactoryKyotoというオルタナティヴスペースに3年間関わっている間に多くの団体と関わる事がありました。個人的に仲良くなり色々な相談などもされて来るにつれ、どこでも似た様な問題やトラブルが起きていて、それを乗り越えれずに活動停止や解散という憂き目にあうというケースが多々ありました。勿論、根性論的に解散を解釈することも出来ます。けれども、些細な事がきっかけで終わりに向かうという事は勿体無いのではないでしょうか。
僕も、成功者ではありませんし、ノウハウと言っても教えれる何かがあるとは断言出来ませんが、10年近く集団で動いてきた人間として色々とお話を聞ける位の経験はあると自負しております。逆に教わりたい気持ちも強いです。
サークル、アーティストグループ、劇団、映像制作団体、雇用先、バンド、学校などグループで何か動いている方、動こうとしている方、そして活動中で行き詰まりや悩みがある方是非その問題解決にお手伝いさせて下さい。
報酬などはいりませんが、カンパやご飯くらい食べさせていただけたら嬉しいです。

※力になれる事例
イベントや企画の集客を伸ばしたい。グループ内でのやる気の差を埋めたい。仲間が自分を理解してくれない。ぼっちで辛いetc.

※具体的な流れ(ケースバイケースで変わります)
1.依頼主からのヒアリング
2.メンバー個々のヒアリング
3.グループ全体でのコミュニケーション(呑み会など)
4.グループ全体でのディスカッション
5.グループで行う企画のサポートと効果の向上


もう一つしようとしているのがトライブコンサルティングが公の取り組みであるとするなら、個に向かった取り組みです。
こちらは単純明快で「お茶をしよう」という取り組みです。老若男女問わずお茶や酒を酌み交わす事を意識的にして行こうと思います。
こちらも料金などはかかりません。奢ってくれたら嬉しいくらいです。

二つのどちらかに興味を持たれた方は、dazaist69(at)gmail.com か090-1135-8708までお電話下さい。

2013年3月1日金曜日

工場という事

 Factory Kyotoの第一章が無事閉幕した。2010年の3月から借り始めたので3年間四条と共に生活してきたようなものだ。初めは何も無い(当たり前だが)古い町家の中で10数人の友人達で夜毎色々と議論しながら歩んできた。それ以降、出会いや別れを繰り返してきて、今日に至る。
まさに2010年代の幕開けと共に始まり、そして3年間で得てきた物が僕は多かった。この3年の間に地震や原発問題はあれ、僕達の怠惰な終わることなき日常の連続を少しでも歪めえただろうか。その答えが出ていないから僕達は新たな場所を捜し求めて彷徨い始めたのだ。この建物を引っ越す理由は経済的理由でも、運営メンバー間での内紛が原因でもない。単純にこの場所では僕達が面白いと思えることをやれなくなったからだ。それはハコとしてのキャパオーバーである。もうこの小さな家屋ではパーティーをしたって、人が入りすぎて苦情が出るし、僕はもっと大勢の人と接続したい。展示や企画はまだまだ出来る事はあるとはいえ、それでも限界点は見えきっている。
そこまで僕達のコミュニティーや場所が人を誘いこめた事は有難い事ではある。初めの方は本当に生産性が皆無で、昔からの友人がずっと会い続ける場所だった。そこから色々と知らない人たちと出会う為の試みや動きをしてきて、まだその動きは満足の出来るものではない。万人に受け入れられる人間や施設の空気では確かにないけれども、絶対に僕達は常に待ち構え続ける。その力みようで引いちゃう人も多いわけだけども。
思い出を感傷的に書き連ねるのは容易だけど、別に終わった訳でもなく新しく進むだけなので、それは心の奥に仕舞っておこうと思う。
何も無くなった工場を観て感慨もないわけではないけども、思い出は残り続けるわけだし、僕達の活動が終わるわけでもない。この手のコミュニティスペースやシェアスペースが増えて来ている様だけど、僕達は楽しみ続けたいだけなのだ。そして衝突と共有を繰り返しながら僕らはずっと怠惰に生き続けるだろう。戦闘的に、前向きに、攻撃的に、感傷的に進み続ける。まだ出会ったことの無い人と話し、喜怒哀楽を実感し合うために僕たちは進んでいきます。
移転先が決まるまで僕はあまり忙しくないので是非090-1135-8708までか、dazaist69(at)gmail.comまで御連絡下さい。
また遊ぶ日まで!


2013年2月12日火曜日

九州探訪記

 前回のブログなどでも御伝えしていた通り、1月29日~2月6日までの9日間九州へ出掛けて来ました。
今回はファクトリー福岡の同志諸君と交流する事が主目的なので、ファクトリー福岡に滞在し、2月に入ってからは北九州市に滞在しました。
と言っても、する事は別に変わりなく、美食に耽溺し、ゴロゴロしてだけと言えばそうなのだけれど、福岡は初めての滞在であって、その街を知る為にはやはり衣食住やその街の人々と深く話す事が一番だと想い、それを実践した。
九州は大分、宮崎、鹿児島の三ヶ所には家族旅行で行った事はあり、まだ小学生高学年や低学年だったのでそこまで街と個人が向き合った事は無く、言ってみれば主体的な行動で初めて九州へ赴いた訳だ。その中で発見としては博多や天神などの中心部は想像していたよりも三倍は発展していて、僕は驚かされた。仙台や地方都市で中核になる街を色々と見たけれど、九州にここまで大きい都市があったとは思えなかったのだ。人口数的にも大阪より100万人は少ない都市ながら街の規模は大阪市の中心部の0.7倍はあるだろう。この計算すら僕の大阪愛の裏返しであって、規模で言えば同じなのかもしれない。福岡市自体もまことに大阪に似た町並みで、海の近くにある大都市だからかもしれないけれど、河口近くの町並み、海岸部に並ぶ工業地帯、高速道路の感じ等などが何故か大阪を思い出させた。大阪市の西淀川区という町で10代半ばまで暮らした僕にとっては故郷に近い雰囲気が感動を増幅させたのだ。
北九州の黒崎にも二日間ほど滞在したのだけど、大きな商店街が駅近くに広がっていて、駅は再開発されてきれいなんだけども、その大きな商店街とまた地方なら何処でも同じなのだろうけど、活気の無さやシャッターの感じに僕はいたく感傷的になってしまったのだけれど、これは黒崎滞在中に歯痛が悪化し、どんよりした天気と合わさってそうなったのかもしれない。その黒崎ではMr.ピッグマンというちゃんぽんの店にさらなるノスタルジーを感じてしまい。色々な事がフラッシュバックしてしまった。僕はノスタルジーと記憶が大好きなのだ。失ってしまった故郷を常に心の闇として捉えている。かなり文章が感傷的な文学的な感じになっているけれど、僕は一生懸命福岡という街を掘り起こそうと勤めている。縁も所縁も無い街なのだけど、街の規模と雰囲気に僕は完全に福岡という所が好きなってしまったのだ。結局は、今回の旅では福岡の表層しか知りえないだろうし、筑豊などに行くとまた雰囲気は変わるとの事なのでまだまだ僕が福岡の事を語る事は出来ないだろう。けれども、田舎嫌いの僕は都会が好きで、その都会の按排が良い具合だった福岡という地方都市は絶妙なのだ。
九州の印象は人外魔境であり、熊襲が跳梁跋扈する征西すべき地帯だとか上方の驕り高ぶった感覚が少なからずあって、九州出身の人間を田舎もんやなと馬鹿にしたりもしていたのだけど、僕は福岡には可能性を感じたのだ。熊本にも立ち寄ったのだけど、熊本も良い街で(総じて飯が美味いところは良い町ではある。街ではないけれど)中崎町を思わせるような雰囲気もあり、しかし駅前などは結局地方都市のそれであり、熊本は熊本城と美食とくまモンだけでよろしい。
その街を知るためには衣食住を知る事が肝心と書いたけれど、その中で今回欠落していたのはその街の女肌と肌を合わせるという事が今回無かった。それは性風俗であり、前々から中州と熊本のソープは凄いという話を聞いていたので、そこに行ってみたかったのだけど、資金難は拭う事あたわず完全に食に耽溺するだけになってしまった。
 福岡の人についても書かなければならないと思うが、僕はまだまだ福岡人を知らない。しかしながら、彼らの特色は関西とは全く違った性質を持っていると言わなければならないだろう。まず彼らは寡黙であり、街中でも会話を交わしまくる関西人とは全然逆なのだ。彼らはシャイで、何事もネタにし笑いあう関西人と違い、常に秘密と沈黙を湛える権謀の人々である。大阪に強く立脚している僕にとっては扱い辛く、あまり感心しないけれども、それが風土が生み出したものなのだろう。もっと僕は彼らを知る必要があるのだ。
とにかく散漫な文章になった事は否定できようもないし、僕はあまり今陽気ではないからここらで終わりたい。福岡の可能性は大いにある。それを遣い飛翔するかどうかは彼ら次第であろうけれど、コミュニケーションの何たるかを模索し続けている人間にとってはどうなるのかは気になるところなのだ。

2013年1月12日土曜日

カンパという事

 2013年も宜しく御願いいたします。最近、ブログの更新も著しく鈍っていて、まあそんなもんだなと思いつつ、毎日何だかんだと七転八倒、金だけが無い明るい日々を送っている次第です。
さて、カンパを募ろうと思っています。カンパの内容は僕の九州行きの資金で、家も無く、携帯代は滞り、借金は嵩み、毎月の活動費さえ支払いを滞っているのに九州行きとは、悪魔の所業、地獄の業火に焼かれるべき所存と御思いになられるでしょう。
思い出せば数々の不義理と私生活の退廃を重ね重ねてやってきて、僕は何てクソッたれな人間だとか自問自答、自我の捏ね繰り回しを何万回として来たけれど、もう開き直る。全てそれらを捧げて遠くのまだ会っていない君達と共にありたい。その為には日常と自己を捧げなきゃいけない。生憎僕は器用で、要領が良い人間じゃない。だからこそ滅私奉公するしかないのであります。

御託はここらで置いておきます。とにかく僕は九州に一週間ばかり行きます。その旅費諸々を皆様にカンパしていただければと思うのです。勿論カンパしてもらうだけでは意味が分からないので、今回の九州行きの意味合いを述べたいと思います。

・九州へ行く意味
まず、今回の九州行きではファシスト党をされている外山恒一さんに会いに行こうと思います。外山さんとは何度も御会いした事があるのみならず、大学時代外山さんを含めた刺激的な人を招いたトークイベント以来、何かと関わらせていただく事が多く、昨年の夏には僕も運営に携わっているFactory Kyotoで交流会を開催していただきました。その縁がある中、外山さんの活動拠点である福岡には行った事が無いので、是非塾舎と党員の方々と交流を深めに行くつもりです。
もう一つは、九州での情報収集です。九州で活動し始めているFactory Fukuoka勢との交流もそうですが、オルタナスペースやコミュニティ運動をしている人たちの情報収集を現地で行いたいと思います。ネットでも充分なんでしょうけれど、やはり向こうで活動している面白い人達から直接情報や人を紹介してもらおうかなと思っています。そして、オルタナスペース系の全国情報網として京都でも双方で情報をシェア出来たらなと考えてます。
最後の一つは、坂口恭平氏の運営しているゼロセンターに赴いて、氏と話を交わせればなと思っています。彼の著作を何冊か通読した事があるのですが、色々と思うところがあり、直接現地に乗り込んで意見を闘わせたいと思っています。はっきり言って僕は彼に対して批判的に考えているので、表面の著作や活動だけでなく、坂口恭平氏自身の口と人柄から考えたいと思っています。

・カンパするメリット
第一にはこのどうしようもなく面白く刺激的な松山孝法という人間を、九州という街で面白い奴らに会わせて出るケミストリーに期待して頂きたいという事であり、ここの所年齢の近い遠い関係なく、自分達の活動の意味を説明できる能力が付いてきました。それをまだ見ぬ人たちにぶつけたいのです。
そして、カンパして頂いた暁には九州で訪れる人や場所で、その方の話を向こうで広めたいと思います。ようはカンパしていただいた方の広告塔となってくる所存です。これが本義的には一番のメリットだとは思います。

目標金額は5万円です。是非カンパを宜しく御願いいたします!

りそな銀行 福島支店 普通 1176149 マツヤマ タカノリ



2012年10月19日金曜日

宗教という事

 宗教の原初的体験は、僕にとって家族が入信していた新興宗教だ。神道と仏教、そしてシャーマニズムを混ぜた様な大変怪しい宗教で、その割には出雲にある日御碕神社とも関係が深く、名前も奈良日御碕神社という名称だった。それが宗教団体の正式名称であったかどうかは今となっては分からないが、とにかく、一通り神式、仏式の礼拝方法、玉串拝礼程度は覚えている。
 一等怪しいのはシャーマンの存在で、老婆が教祖的な存在だったのだが、その老婆の身体を借りて神の声を伝え、自営業の営業や人事、家族の進退(結婚相手や進学など)まで全て取り決める位の熱の上げようであり、20数年に渡ってその宗教団体に御布施した額は優に億を超えているとの事だ。
 普通の人ならそんな怪しい宗教に金も人生も賭けるのは常軌を逸していると映るだろうし、そういう家庭で育った僕自身常軌を逸していると物心付く頃には思っていた。けれども、幼少の頃は熱心に般若心経や御題目を熱心にあげ、神仏の存在を強烈に信じていた敬虔な幼児であった事は間違いない。その怪しい宗教に入れ揚げる事を馬鹿に出来ない文脈というものもあるのだ。詳しくは分からないのだが朝鮮人はイタコやシャーマニズムな土着的民間宗教を信仰しており、在日朝鮮人でもそれは変わらず、戦後も結構在日のコミュニティーではその様なイタコのおばあさんが駆け込み寺のような機能を果たしていたと色々な在日を題材にした小説や本、そして、親戚の話で聞いた事がある。なので、傍から見れば奇怪極まりない神の声を代弁するような宗教にも没入する下地は既にあったのである。これが僕の宗教的素養、体験である。
 僕は新興宗教など興味がないどころか、好感は上記の事もあり嫌悪して憚りない。けれども、宗教という存在の本質的な部分によく人々が言うようにセーフティーネットや精神の拠り所としての意味合いがある。宗教に頼るなど軟弱な精神だ!と罵る事は容易であるが、それが神や仏を言っていないだけで、企業や友人や思想など精神的拠り所や己の不安を払拭する為に何物かに寄りか家庭内人間がいるだろうか?そう考えるにつけ、僕が昨今している活動や思想というのはある意味の宗教としての側面が強いのではないかと考える様になった。そろそろ本題に入って行く。
 宗教を教祖や神のように捉えずに、心身両方のセーフティーネットと考えると僕が現在展開しているスペース運営やイベント、人と対話するという事は極めて宗教的である。僕が近頃、悩み悩んでシンプルに語弊の無い様に、また偏見で処分されにくく、一般的にも想像可能な言葉として行き着いたのが「コミュニケーション」と「衣食住」である。コミュニケーションが根底にあり、それを円滑化させる為のツールが衣食住である。
 僕は、一年以上まともに労働していない。半年前までは情けない話、父親からの仕送りが微額ながらあり、それ以降は友人、先輩後輩諸兄、女史、家族とあらゆる知り合いから金銭を借りまくり日々の糧としている。そして、僕はそういう情けない状況であるにも関わらず反省と自己嫌悪を痛いほど感じているけれども、遠慮する事無く、様々な言葉や行動であっけらかんとして生きているのだ。何故、あっけらかんと時には偉そうにと感じるような発言をし、貸している側からすれば傲慢不遜としか捉えられない様な誤解を生み易い生活態度、主義主張を行っているか。そこには自負と確信があるからである。それが無く、ただ怠惰の様に、生活破綻の様に見える事など出来るはずがない。僕は金銭や生活ではなく、信念に忠実なのである。
 かつての僧侶や神父、牧師、宗旨を問わずに宗教の使いは勿論腐敗や例外もあるだろうけれど、世間から見れば気違いじみた生活や人生を送ってきただろう。その最たる者達は物語や伝承として今でも美談として語り継がれている。
イエズス会のモンク達が海を渡って、侵略の意図だろうと何だろうと禁欲的に、そして無償の奉仕を持ってして、神の教えを説き、誠実に生き続ける姿は功利主義者からすればキチガイでしかないし、偉いねと思いながら「ケッ!偽善者が!」と悪態吐かずにはいれぬ位の後ろめたさを感じながら悪意を投げかけただろう。社会の為、生活の為、遊行や消費の為に働き、日々を送っている人間は決して間違っていない。多くの人間はそうでしか生きていけないだろう。けれども、そうでない人間もいる。それはただの堕落した、自分勝手な俗物としか映らないであろうけれど、僕にはしなければならない事がある。
 僕は、時間問わず日を問わず、余程の先約が無い限り、どんな人にでも会う様にしている。家や部屋で一人して憂鬱な人間がいつでも憂さ晴らしや鬱々とした孤独を晴れせはしなくても、紛らわせる様に24時間いつでも来れる環境を整えている。しかも、そこで金銭のやり取りなどは発生させていない。(原則として)そして、僕はただ相談や悩みを聞くだけでなく、ちゃんと対等な人間として時には罵倒し、時には批判否定し、それと共に共感と存在肯定を行っている。勿論、僕は娑場で生きる俗物である。肉食もすれば酒も食らい、女も抱く、修行や経典を熟読している訳でもない。そういう意味では現代の宗教家ではない。けれども僕は多くの孤独なアングリーヤングメン達と共にあるし、そいつ等に対してなるべく欺瞞は使わないようにそれこそ精神を擦り減らせながら向き合っている。勿論、それでも全ての人間と仲良くなれるわけではない。僕一人で全人類と繋がれるわけではない。だからこそ、僕はそういう存在同士が並列的に存在出来る教会の様な(教会や寺院の始まりはきっとこの様な機能として運用されていただろう。)場所を作り、運営している。僕や僕と似たような奴が苦手な人間でも、そいつと気が合う人間がいる可能性はあるのだ。
 別に、このような活動も精神も別に高邁だなんて思っていない。選ばれし者とも思ってはいない。普通の事だろう。困った人間がいれば、余裕のある者が助けという決して一方通行ではない相互扶助、金が無く腹が減っていてけどどこにも頼れない奴がいるなら、金がある奴が代わりに食わせて、また逆の時にそうすればいいのだ。こういう相互扶助など何も新しいものじゃない。当たり前として一定の人間では共有されていた事なのだ。それが唯我独尊、我が身だけが可愛い。けれども、弱った時にだけ支えてくれなどという傲慢不遜な人間を僕は軽蔑する。
 この様な活動は一種の宗教活動だろう。僕は神でも教祖でもなく、一人の使い人である。僧侶である。牧師である。神父である。その活動を誰にも笑わせない。否、笑ってもいい。真面目に日々を生きる勤勉なあなた達が救える人間達も必ずいるのだから、僕を笑って、誰かを助ければ良い。
そういう積み重なりを僕は宗教だと思っているのだ。

2012年10月2日火曜日

色欲という事

 僕は色欲が激しい。ここの所、より一層酷くなって来ている。否、酷いなんて思っていない。僕はその色欲に耽溺している。太宰を地で行くならば、どんな不幸も酒の肴程度に昇華して生きて行くしか無い。ブログだろうがtwitterだって現代では立派な文学だと僕は思っている。信じている。
男というのは誰しもそれ相応に色欲を持ち得ているだろう。勿論、その色欲が深い僕でさえ、それ以上の色欲の持ち主は伍萬とござろう。それを前提に僕は綴って行きたい。これは僕個人の話だ。何故、僕がここまで色欲に溺れ、深いか。やはり青年期の影響を否定は出来まい。僕は12歳〜18歳までを男子高校で過ごした。性の目覚めも、反抗の目覚めも、ロックの目覚めも、政治も全てそこで身に付け育んだ。皆さんが予想する以上に女性という存在は観念化されていった。それは思春期なのだから誰しもがそうだろう。しかし、そこにリアリティーは無かった。リアリティーはエロ本とAVと駅や街で擦れ違う表層部分だけの女性である。その中で僕達は七転八倒しながら、女子との交流を求めた。ここが多くの男子校生との違いではないだろうか。
 そして、僕達は中学生から女子校の女の子と触れ合った。合コンみたいなおままごとを飽く事無く繰り返した。けれど、精神的には別に彼女達と近づく事は無い。言ってしまえば「穴」にしか興味ないわけだ。僕達は徹底的にモテなかった。中学生の頃は個人的な拘りなんてものがそこまで強くないから支障はそこまで来さなかった。問題は高校生になってからだ。それこそオールドタイプの不良を標榜していた僕は、左翼思想、文学、淫売婦、博打、ロックミュージック、パンク、喫煙、飲酒、夜遊びに夢中になり、学校なんて馬鹿らしくなった。そして、精神は先鋭化し「女なんかに媚びてたまるか!」という潜在的に育まれた儒教精神、封建意識と革命思想が複雑に、天の邪鬼的に絡まり合った奇形に変容してしまったのだ。全ての悪に義があり、世間的な善を嫌悪した。その下地、僕にまつわる巨悪があるとすればここで完成したと言って憚りない。
 ここまで奇形化した人間性は立派に落伍者の末席に鎮座した。けれども、それと反比例する様に女性の陰は成りを潜める。そりゃそうだ。だって、カラオケに行ってJ-Popなんて唄った奴なんかに目くじら立てて批判の為のアジテーションをするのだからモテるはずがない。しかしながら、僕はまあ今と違ってその時は痩せていたし、目も鋭かった。なかなかの美少年といっても良い様な容姿だったから、そういう暗い陰鬱な空気を持った奇形児にも興味を持つ女は21世紀になって絶滅危惧種となったとはいえ存在していたのだ。セックスを覚えていから僕は一層先鋭化し、それに伴ってどんどん派手で見た目だけは特化した女性達とは疎遠になって行った。今考えればそりゃそうだ。そんな奴に近づく訳が無い。やたらと相手を攻撃して自尊心だけを肥大化したい時代遅れのダザイスト、パンクスだ。
 そういう10代を送り続け、僕の色欲は屈折して行く。「何故こんなに革新的、時代に先駆けた俺に女は振り向かないんだ!顔だってそこまで悪くないのに!」なんて考えれば考える程色欲は強くなり、その欲望を解消出来なくなればなるほど、考えは先鋭化されての悪循環だ。そして、様々な先鋭化と実践を繰り返し、それに伴って僕は気付けば25歳になってしまった。山田かまちやシド・ヴィシャスやイアン・カーティスはとっくに死んだ歳だ。パンクファッションも辞めて久しい。けれど、僕を育んだそれらの年齢と根底は変わらない。実践の中で大衆化させて行く為の軽薄さを身に付けて行っている。潔癖さの代わりに進んで俗物として肥え太っていっている心身共に!そして、その軽薄さが災いして来たのだろう。否、太宰的に言えば本格的に堕落し、汚らわしくなったから女性の影が出来て来たのだ。先述した様に色欲は同程度残り続け、軽薄さと器用さが合わさって、質が悪くなる。
 僕は女性というのは新大陸だと考えている。そして、僕はコロンブスである。寝床を共にする女子が多ければ多い程、それは新大陸を開拓したという事と同義語だろう。それらの行動は倫理観や道徳観に照らし合わせれば全く誉められた物ではない。その中で何を見つけ、何を失って行くだろう。失う事ばかりだ。どれだけ女性と遊ぼうが何も埋まる物じゃない。ただ、新大陸を発見したという瞬間的、反射神経的な喜びだけなのだ。そこにどれだけ快楽や体験があってもそれは宝物ではない。商業的に大陸を見つける冒険家よりも、僕はただ新発見だけを求める好奇心の冒険家だ。
しかし、これでは自分を美化しているだけだ。僕は経済力もない馬鹿野郎に他ならない。どれだけ周りの幸福を吸い上げ、搾取し、収奪して来たか。それを考えると僕は大嫌いな資本家そっくりなのである。しかも、物質ではなく精神を収奪し続けるクソな資本家だ。それでも僕の色欲は荒ぶり続ける。破滅か死か。どうやら欲望という物の先には幸福はなさそうだ。どう生き、どうやっても自由だと人は言う。けれど、それは自分の生活を担保出来てからだと耳障りな位に言われて来た。その当たり前に対してドンキホーキ的に突撃しようと思う。醜悪極まりない。

2012年9月19日水曜日

家という事

 昔から僕は集団という事象に拘りを持って来た。一つには、寂しがり屋というのが大きな原因だが、それにしても寂しがり屋では片付けられない人生を通しての拘りを持っているのである。みんなでいたいというよりは独りが嫌いなのだ。
 集団というものを考えてみると、その原点は多くの人の場合まず家庭である。孤児であっても、家庭的な集団が原初にあるはずだし、そこから人間形成が形作られて行く。意識的、無意識的に問わず家庭というものから人は始まり、ようは集団からどんな人も始まる訳だ。昨今、家庭の崩壊や家族制度の消滅が言われているが、勿論それは事実で有ろう。かく言う僕もその家庭だの家制度だのというものが自我の芽生えと共に煩わしくなり、積極的に反発、逃避、破壊を行って来た。しかし、僕は結局はそう言う意味ではオールドタイプなのである。近頃その急進性と反比例する様に家族制度というものへの郷愁と言ってしまえば元もこもないのだが、とにかく想いは募る。個人史的な話になれば、僕の親族は崩壊(別に仲が悪くなった訳ではない)したのだが、それは僕が家制度打倒の為に闘った革命の成果ではなく、単に経済的理由ではあるのだけど、とにかく生家が無くなり、僕の帰るべき場所は無くなった。何もそこまでじゃなくとも、多かれ少なかれ同世代(1985〜1994年生まれ)においては家制度というものは崩壊している事が多いのではないだろうか。
 勿論、家制度が壊れたなどというテーゼはもう何十年前から言われているだろうし、今始まった事でもなければ世代の空気を代弁する事柄ではない。しかし、例えば冠婚葬祭のマナーであるとか、生活単位でのまじないめいた伝統などに触れれる最後の世代ではないだろうかと日毎に思うのである。日本的な伝統や天下国家が保護しない、ようは歴史的に残らない市井の人々が形作っている民俗学に当てはまる営みの残滓が僕らの世代で終わろうとしている様に思えて仕方が無い。別にそれを殊更守りたいわけではないのだけど、口伝とまで言わずとも冷やかし程度に体験しておきたい、記憶していたいと思う。一種の昭和性のようなものが本格的に終わろうとしているのだ。その昭和性の終焉が昭和が終わって20数年経って終わろうとする事は、年号というものが馬鹿には出来ないのかもしれない。日本人的な感覚で、昭和が終わったから昭和性も終わる。なんてのは紋切り型の日本人観であるからつまらないが、紋切り型というのも馬鹿には出来ないのである。
 その伝統とも呼べない様な婆さんの知恵袋レベルの口伝、営み、民衆史の崩壊は、頼るべき存在の不在が大きいのではないだろうか。それこそ昔はそれを国家、時代が下って企業になってきた。家父長制の全盛は企業、いわば生業を生み出す存在の強固な時であって、企業神話が崩壊すれば自然と父性も死んで行くのである。しかし、家父長制が終わったからと言って、家父長制だって必要部分があったから出現して来たのであり、家父長制が担っていた部分を何かが担保しなければならないのである。それがある時は宗教であり、ある時は経済力であったりするのだが、どれも現時点においてはリアリティがあるとは思えない。何が担保するのだろう。
 僕はそれは集団であると考えている。疑似家族、それこそ家族ごっこではないかと考えている。僕がいるコミュニティーではそれが顕著であり、各々の性格に合わせて、状況に合わせて元来その個人が持ち合わせている特色に合わせてある者が父になり、ある者は母となり、ある者は兄弟になるのだ。非常に合理的ではあるが、非常に気持ち悪く移るものでもある。僕達は先述した様に昭和性の残滓を持ち得た人間ばかりだ。何なら家制度が未だ崩壊していないエラい環境の人間もまだまだいるであろうし、そんな事を感じない(また感じようとしない)愚鈍な人間も多いだろう。その家族ごっこの中に「身内ノリ」という罵倒を受ける根拠があるのではないだろうか。しかし、その気持ち悪さを感じている時点でその嫌悪感の中には羨望があると僕は考えている。何故なら全く想像出来ない事象の場合人は嫌悪感はさほど湧かないと思うからだ。
言葉には魔術がある。例え罵詈雑言であろうが、投げかけられる言葉の中には真理めいたものや、メタが潜んでいる事は珍しくない。そう考えると「身内」というのはそれこそ仲が深い人間同士を現す言葉である。家族ごっこというのは甚だ痛々しく僕は思うが、それすら昭和性の残滓であると思えばなかなかに面白いのではないだろうか。