2012年10月2日火曜日

色欲という事

 僕は色欲が激しい。ここの所、より一層酷くなって来ている。否、酷いなんて思っていない。僕はその色欲に耽溺している。太宰を地で行くならば、どんな不幸も酒の肴程度に昇華して生きて行くしか無い。ブログだろうがtwitterだって現代では立派な文学だと僕は思っている。信じている。
男というのは誰しもそれ相応に色欲を持ち得ているだろう。勿論、その色欲が深い僕でさえ、それ以上の色欲の持ち主は伍萬とござろう。それを前提に僕は綴って行きたい。これは僕個人の話だ。何故、僕がここまで色欲に溺れ、深いか。やはり青年期の影響を否定は出来まい。僕は12歳〜18歳までを男子高校で過ごした。性の目覚めも、反抗の目覚めも、ロックの目覚めも、政治も全てそこで身に付け育んだ。皆さんが予想する以上に女性という存在は観念化されていった。それは思春期なのだから誰しもがそうだろう。しかし、そこにリアリティーは無かった。リアリティーはエロ本とAVと駅や街で擦れ違う表層部分だけの女性である。その中で僕達は七転八倒しながら、女子との交流を求めた。ここが多くの男子校生との違いではないだろうか。
 そして、僕達は中学生から女子校の女の子と触れ合った。合コンみたいなおままごとを飽く事無く繰り返した。けれど、精神的には別に彼女達と近づく事は無い。言ってしまえば「穴」にしか興味ないわけだ。僕達は徹底的にモテなかった。中学生の頃は個人的な拘りなんてものがそこまで強くないから支障はそこまで来さなかった。問題は高校生になってからだ。それこそオールドタイプの不良を標榜していた僕は、左翼思想、文学、淫売婦、博打、ロックミュージック、パンク、喫煙、飲酒、夜遊びに夢中になり、学校なんて馬鹿らしくなった。そして、精神は先鋭化し「女なんかに媚びてたまるか!」という潜在的に育まれた儒教精神、封建意識と革命思想が複雑に、天の邪鬼的に絡まり合った奇形に変容してしまったのだ。全ての悪に義があり、世間的な善を嫌悪した。その下地、僕にまつわる巨悪があるとすればここで完成したと言って憚りない。
 ここまで奇形化した人間性は立派に落伍者の末席に鎮座した。けれども、それと反比例する様に女性の陰は成りを潜める。そりゃそうだ。だって、カラオケに行ってJ-Popなんて唄った奴なんかに目くじら立てて批判の為のアジテーションをするのだからモテるはずがない。しかしながら、僕はまあ今と違ってその時は痩せていたし、目も鋭かった。なかなかの美少年といっても良い様な容姿だったから、そういう暗い陰鬱な空気を持った奇形児にも興味を持つ女は21世紀になって絶滅危惧種となったとはいえ存在していたのだ。セックスを覚えていから僕は一層先鋭化し、それに伴ってどんどん派手で見た目だけは特化した女性達とは疎遠になって行った。今考えればそりゃそうだ。そんな奴に近づく訳が無い。やたらと相手を攻撃して自尊心だけを肥大化したい時代遅れのダザイスト、パンクスだ。
 そういう10代を送り続け、僕の色欲は屈折して行く。「何故こんなに革新的、時代に先駆けた俺に女は振り向かないんだ!顔だってそこまで悪くないのに!」なんて考えれば考える程色欲は強くなり、その欲望を解消出来なくなればなるほど、考えは先鋭化されての悪循環だ。そして、様々な先鋭化と実践を繰り返し、それに伴って僕は気付けば25歳になってしまった。山田かまちやシド・ヴィシャスやイアン・カーティスはとっくに死んだ歳だ。パンクファッションも辞めて久しい。けれど、僕を育んだそれらの年齢と根底は変わらない。実践の中で大衆化させて行く為の軽薄さを身に付けて行っている。潔癖さの代わりに進んで俗物として肥え太っていっている心身共に!そして、その軽薄さが災いして来たのだろう。否、太宰的に言えば本格的に堕落し、汚らわしくなったから女性の影が出来て来たのだ。先述した様に色欲は同程度残り続け、軽薄さと器用さが合わさって、質が悪くなる。
 僕は女性というのは新大陸だと考えている。そして、僕はコロンブスである。寝床を共にする女子が多ければ多い程、それは新大陸を開拓したという事と同義語だろう。それらの行動は倫理観や道徳観に照らし合わせれば全く誉められた物ではない。その中で何を見つけ、何を失って行くだろう。失う事ばかりだ。どれだけ女性と遊ぼうが何も埋まる物じゃない。ただ、新大陸を発見したという瞬間的、反射神経的な喜びだけなのだ。そこにどれだけ快楽や体験があってもそれは宝物ではない。商業的に大陸を見つける冒険家よりも、僕はただ新発見だけを求める好奇心の冒険家だ。
しかし、これでは自分を美化しているだけだ。僕は経済力もない馬鹿野郎に他ならない。どれだけ周りの幸福を吸い上げ、搾取し、収奪して来たか。それを考えると僕は大嫌いな資本家そっくりなのである。しかも、物質ではなく精神を収奪し続けるクソな資本家だ。それでも僕の色欲は荒ぶり続ける。破滅か死か。どうやら欲望という物の先には幸福はなさそうだ。どう生き、どうやっても自由だと人は言う。けれど、それは自分の生活を担保出来てからだと耳障りな位に言われて来た。その当たり前に対してドンキホーキ的に突撃しようと思う。醜悪極まりない。

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